【表紙】 【題箋】 《題:江戸名所図會 二》 【見返し】 【前「両国橋」の続き】 【左丁】  連(つら)ね燈(ともしひ)の光(ひかり)は玲瓏(れいらう)として流(なかれ)に映(えい)す楼船扁舟(ろうせんへんしう)所(ところ)せくもやひつれ  一時(いちし)に水面(すゐめん)を覆(おほ)ひかくしてあたかも陸地(りくち)に異(こと)ならす弦歌(けんか)鼓吹(こすゐ)は  耳(みゝ)に満(みち)て囂(かまひす)しく実(しつ)に大江戸(おほえと)の盛事(せいし)なり     此(この)人数(にんしゆ)舩(ふね)なれはこそすゝみかな   其角     千人か手を欄檻(らんかん)やはしすゝみ    同     このあたり目にみゆるものみなすゝし 芭蕉 清水如水宅地(しみつしよすゐのたくち) 横山町(よこやまちやう)に住(すみ)けるといへり如水(しよすゐ)は藤根堂(とうこんたう)と号(かう)す狂(きやう) 歌(か)に名(な)あり《割書:常(つね)に酒(さけ)をたしめり酔(ゑは)さる時(とき)はしほ〳〵として猥(みたり)に言語(けんきよ)を発(はつ)する|事なく酒(さけ)を飲(いん)する時(とき)はのひ〳〵として勢(いきほ)ひよくはひあるきけれは》  《割書:とて人(ひと)名付(なつけ)て藤根堂(とうこんたう)と呼(よひ)けるとなり按(あんする)に雄長老(いうちやうらう)卜養(ほくやう)又/近(ちか)くは九州(きうしう)の甚久(しんきう)|法師(ほふし)抔(なと)各(おの〳〵)狂哥(きやうか)に名(な)ありて家集(いへのしふ)もあれと此(この)如水(しよすゐ)は名(な)さへしる人まれなり》  如水(しよすゐ)一時(いちし)大和国(やまとのくに)法隆寺(ほふりうし)に蔵(さう)する所(ところ)の賢聖(けんせい)の瓢(ひさこ)といへる器物(きふつ)を  見(み)て後(のち)瓢(ひさこ)に彫物(ほりもの)をする事を得(え)たりしかも鈍刀(とんたう)を用(もち)ひて  其巧(そのかう)尤(もつとも)絶妙(せつめう)なり依(よつ)て其需(そのもとめ)多(おほ)かりけれは此(この)匏瓜(ひさこ)の為(ため)に身(み)を  押(おさ)へられたりとの意(ゐ)にて自(みつか)ら迷淵蟠鯰候(めいゑんはんねんこう)とそ名(な)のりける住家(ちゆうか) 【右丁】 両(りやう) 国(こく) 橋(はし) 【図】 壱両か 花火 間も なき 光 かな 其角 【図】 【枠内】元柳はし 【枠内】かるわさ 【枠内】舟宿多し 【枠内】土弓 【枠内】土弓 【枠内】かみゆひ床 【枠内】芝居 【枠内】茶や 【左丁】 【図】 【枠内】土弓 【枠内】かみゆひ床 【枠内】舟宿多し 【枠内】料理や多し 【枠内】本所一ッ目 【右丁】 此人  数 舟  なれは こそ 涼  かな  其角 【図】 【枠内】茶や 【枠内】柳はし 【枠内】かるわさ 【枠内】みせもの 【左丁】  より東(ひかし)に薬研堀(やけんほり)と云所(いふところ)あり其辺(そのあたり)知人(しるひと)の許(もと)に行(ゆき)て楼上(ろうしやう)より  遠近(をちこち)を見(み)やりて    見おろせは気(き)の薬(くすり)なり薬研堀(やけんほり)月(つき)は白湯(さゆ)にてかけは水(みつ)にて  又ある時(とき)漁夫(きよふ)の辞(ことは)の意(ゐ)をよめる    世(よ)はすめり我(われ)ひとりのみ濁酒(にこりさけ)酔(ゑふ)て寝(ねる)にてさふらふの水  享保(きやうほ)十三年戊申正月三日/朝起(あさおき)て    公事(くし)喧嘩(けんか)地震(ちしん)雷(かみなり)火事(くわし)晦日(みそか)飢饉(きゝん)煩(わつらひ)なき国(くに)へゆく  かくよみて同し五日の暮方(くれかた)剃頭(さかやき)湯(ゆ)あみし太神宮(たいしんくう)を拝(はい)し奉り  しまゝに終(をはり)をとれり《割書:行年(きやうねん)七十二/歳(さい)今(いま)も浅草(あさくさ)金竜寺(きんりうし)に墓碑(ほひ)あり石(いし)を以(もつ)て|瓢(ひさこ)の形(かたち)に造立(さうりふ)す如幻庵(しよけんあん)東湖老和尚(とうこらうおしやう)此(この)如水(しよすゐ)か臨終(りんしゆう)の》  《割書:記(き)をかゝれたりといへり按(あんする)に墓碑(ほひ)に一陽如睡(いちやうしよすゐ)とあり水睡同音(すゐすゐとうおん)なれは其(その)臨終(りんしゆう)の|相(さう)を表(ひやう)して没後(もつこ)文字(もんし)を如睡(しよすゐ)と改(あらた)めしならん歟》 杉森稲荷社(すきのもりいなりのやしろ) 新材木町(しんさいもくちやう)にあり《割書:俗(そく)に當社(たうしや)ある故(ゆゑ)に此所(このところ)|をいなり新道(しんみち)と字(あさな)す》社記云(しやきにいふ)此(この)神像(しんさう)は  相馬(さうま)の将門(まさかと)威(ゐ)を東国(とうこく)に逞(たくま)しうせし頃(ころ)藤原秀郷(ふちはらひてさと)朝敵誅伐(てうてきちゆうはつ)  の計策(けいさく)を廻(めく)らし此(この)御神(おんかみ)の加護(かこ)に依(よつ)て遂(つゐ)に将門(まさかと)を亡(ほろほ)したり 【右丁】 杉森(すきのもり)稲荷(いなり)神社 【図】 【枠内】こんひら 【枠内】神輿蔵 【左丁】 【図】 【枠内】神主 【枠内】本社 【枠内】白狐神 【右丁】  後(のち)霊夢(れいむ)を感(かん)し此地(このところ)に至(いた)り矯々(きやう〳〵)たる杉(すき)の森(もり)ある地(ち)に崇(あか)め祀(まつ)る  《割書:當社(たうしや)|是(これ)なり》寛正(くわんしやう)の頃(ころ)東国(とうこく)大(おほい)に旱魃(かんはつ)す太田道灌(おほたたうくわん)江戸城(えとしやう)にありて深(ふか)く  是(これ)を患(うれひ)とし此御神(このおんかみ)に禱(いの)るに其験(そのしるし)ありて雨降(あめふ)り百穀(ひやくこく)大(おほい)に  登(のほ)る依(よって)其頃(そのころ)山城國(やましろのくに)稲荷山(いなりやま)を摸(うつ)して伍社(こしや)の御神(おんかみ)を勧請(くわんしやう)なし  奉(たてまつ)るとなり毎年四月十六日/祭奠神主(さいてんかんぬし)小針氏(こはりうち)奉祀(ほうし)す《割書:當社(たうしや)始(はしめ)は|町屋(まちや)の後(こう)》  《割書:園(ゑん)にありて参詣(さんけい)の道(みち)さへなかりしに元禄(けんろく)十六年/本多(ほんた)弾正少弼(たんしやうのせうひつ)忠晴(たゝはる)寺社(ししや)の|観林(くわんりん)たりし時(とき)社(やしろ)へ参詣(さんけい)の道(みち)を開(ひら)き給ふとなり菊岡沾凉(きくをかせんりやう)云(いはく)此所(このところ)は昔(むかし)杉(すき)の木(こ)》  《割書:立(たち)いと深(ふか)かりしとなり又/此地(このち)の或古老(あるこらう)の話(はなし)に寛文(くわんふん)の頃(ころ)此地(このち)は小針孫右衛門(こはりまこゑもん)といへる|商戸(しやうこ)の地(ち)にして彼宅地(かのたくち)にありし稲荷(いなり)の祠(みや)なりしか其後(そのゝち)延宝(ゑんはう)七年五月二十九日》  《割書:此辺(このへん)火災(くわさい)に依(よつ)て焦土(せうと)となりし頃(ころ)此祠(このみや)のみ現然(けんせん)と残(のこ)りけれは諸人(しよにん)皆(みな)これを奇(き)とす|吉川氏(よしかはうち)某(それかし)深(ふか)く信仰(しんかう)して新(あらた)に蛭子(ひるこ)と姫太神(ひめおほかみ)とを相殿(あひてん)に祀(まつ)ると云又/或人云(あるひといふ)長谷(はせ)》  《割書:川町(かはちやう)旧名(きうみやう)を祢宜町(ねきまち)と云/昔(むかし)當社(たうしや)の巍々(きゝ)たりし時(とき)祢宜(ねき)の住(すみ)し所故(ところゆゑ)にしか号(なつ)くる|とされとも此説(このせつ)信(しん)しかたし》 歌舞妓芝居(かふきしはゐ) 堺町(さかいちやう)葺屋町(ふきやちやう)にあり《割書:木挽町(こひきちやう)|にもあり》寛永(くわんえい)元年甲子の春(はる)中村(なかむら)  勘三郎(かんさふらう)《割書:堺町(さかいちやう)狂言座元(きやうけんさもと)の始祖(しそ)なり初(はしめ)道順(たうしゆん)と号(かう)す昔(むかし)禁闕(きんけつ)及(およ)ひ営中(えいちゆう)に|於(おい)ても猿若(さるわか)の狂言(きやうけん)をなし又は官舩(くわんせん)安宅丸(あたけまる)大江戸(おほゑと)の川口(かはくち)へ入津(にふしん)の》  《割書:時(とき)綱引(つなひき)の音頭諷(おんとうた)を諷(うた)はしめられし折(をり)から御褒賞(こほうしやう)として賜(たま)はる所(ところ)の金(きん)の|麾(さい)ならひに猿若(さるわか)狂言(きやうけん)の衣装(いしやう)及(およ)ひ御簾(きよれん)の揚巻等(あけまきとう)今(いま)猶(なほ)其家(そのいへ)に傳(つた)へて重宝(ちやうはう)》  《割書:とす又/上京(しやうきやう)せし時(とき)勘三郎(かんさふらう)か忰(せかれ)新発知(しんほち)に明石(あかし)といへる|名(な)を賜(たま)はりし事/抔(なと)は皆(みな)中村座(なかむらさ)の規模(きほ)たり》官府(くわんふ)の免許(めんきよ)を蒙(こふむ)り 【左丁】  江戸中橋(えとなかはし)において始(はしめ)て太鼓櫓(たいこやくら)を揚(あけ)猿若狂言尽(さるわかきやうけんつくし)の芝居(しはゐ)を興行(こうきやう)  す《割書:是(これ)大江戸(おほえと)常芝居(しやうしはゐ)の始元(しけん)なり江戸鹿子(えとかのこ)といへる草紙(さうし)に寛永(くわんえい)より前(まへ)は芝居(しはゐ)|町(ちやう)にありと記(しる)せしは柴井町(しはゐちやう)の事を云ならん歟(か)按(あんする)に芝居(しはゐ)ありし故(ゆゑ)にしか呼(よひ)》  《割書:しを後世(こうせい)に至(いた)り芝居(しはゐ)を柴井(しはゐ)に書改(かきあらた)めたるならんか又/江戸名所(えとめいしよ)はなしに芝居町(しはゐちやう)|より中橋(なかはし)へうつり又/堺町(さかいちやう)へ引移(ひきうつ)したる事を挙(あけ)たり事跡合考(しせきかつかう)に寛永(くわんえい)元年》  《割書:日本橋(にほんはし)の西河岸町(にしかしちやう)に芝居(しはゐ)を取建(とりたて)るとあり可考(かんかふへし)寛永(くわんえい)十八年の印行(いんかう)のそゝろ|物語(ものかたり)といへる冊子(さうし)に中橋(なかはし)にて米島(よねしま)丹後守(たんこのかみ)哥舞妓(かふき)ありと高札(かうさつ)を建(たて)けれは》  《割書:貴賤群集(きせんくんしふ)|すとあり》同九年壬申/中橋(なかはし)より祢宜町(ねきまち)へ引(ひき)遂(つい)に慶安(けいあん)四年  辛卯/今(いま)の地(ち)に移(うつ)る《割書:祢宜町(ねきまち)といふは今(いま)の長谷川町(はせかはちやう)の事なり今(いま)俗(そく)に此所(このところ)|を人形町(にんきやうちやう)と字(あさな)するは人形屋(にんきやうや)多(おほ)く住故(すむゆゑ)にしか唱(とな)へたり》  《割書:寛永(くわんえい)二十年/印本(いんほん)吾嬬(あつま)めくりといへるものに祢宜町(ねきまち)に左近(さこん)といへる哥舞妓芝居(かふきしはゐ)|又/角力(すもう)其外(そのほか)薩摩太夫(さつまたいふ)虎屋(とらや)か操(あやつり)土佐(とさ)か能(のう)なとありける由(よし)にて賑(にきは)しき》  《割書:趣(おもむき)を挙(あけ)|たり》又/寛永(くわんえい)十一年甲戌/村山又三郎(むらやままたさふらう)といふ者(もの)《割書:此(この)又三郎といへるは|名護屋(なこや)山三郎(さんさふらう)の》  《割書:弟子(てし)村山(むらやま)又左衛門の子村山|又八といへる者(もの)の次男(しなん)なりといふ》泉州堺(せんしうさかい)より此地(このち)に下(くた)り公許(こうきよ)を得(え)て常(しやう)  芝居(しはゐ)を興行(こうきやう)し能(のう)の狂言(きやうけん)をやつし役者(やくしや)をましへ舞子(まひこ)六人に勤(つとめ)  しむ市村羽左衛門座(いちむらうさゑもんさ)是(これ)なり《割書:葺屋町(ふきやちやう)狂言座元(きやうけんさもと)の興起(こうき)なり二代目を|竹之丞(たけのしやう)といふ堺町(さかいちやう)狂言座元(きやうけんさもと)二代目/明石(あかし)》  《割書:勘三郎(かんさふらう)の門弟(もんてい)たり寛文(くわんふん)四年に至(いた)り始(はしめ)て續狂言(つゝききやうけん)を工夫(くふう)し引幕(ひきまく)|道具建(たうくたて)を製(せいし)出(いた)す故(ゆゑ)に其頃(そのころ)市村座(いちむらさ)を大芝居(おほしはゐ)と称(しよう)したりしとなり》其後(そのゝち)萬治(まんち)  三年庚子/森田太郎兵衛(もりたたらうひやうゑ)といへる者(もの)是(これ)も官府(かんふ)の免許(めんきよ)により 【右丁」 堺町(さかいちやう) 葺屋町(ふきやちやう)  戯場(しはゐ) 【図】   あやつり座  さかい町    中村座     よし町    あやつり座 【左丁】 【図】 がくや新道   市村座    ふきや町 【右丁】 猿若狂言之古圖(さるわかきやうけんのこつ) 【図】 【左丁】 【図】 【右丁】  木挽町(こひきちやう)五丁目/汐入(しほいり)の地(ち)へ芝居(しはゐ)を取建(とりたて)坂東(はんとう)又九郎といへる者(もの)の  二男又七といへるを養子(やうし)とし名(な)を森田勘弥(もりたかんや)と改(あらた)む《割書:木挽町(こひきちやう)狂言(きやうけん)|座元(さもと)なり猶(なほ)》  《割書:同巻(とうくわん)木挽町(こひきちやう)|の下に詳(つまひらか)也》其餘(そのよ)堺町(さかいちやう)葺屋町(ふきやちやう)の間(あひた)に操座(あやつりさ)木偶芝居(にんきやうしはゐ)ありて四時(しいし)に  賑(にき)はへり《割書:元禄開板(けんろくかいはん)の江戸鹿子(えとかのこ)に堺町(さかいちやう)葺屋町(ふきやちやう)の二丁は古(いにし)へより操見(あやつりみ)せ物又は狂(きやう)|言尽(けんつくし)あるひは放下(はうか)の品玉(しなたま)縄切(なはきり)の曲(きよく)を業(わさ)とする者(もの)とも寄(より)あつまり終日(しゆうしつ)》  《割書:観楽(くわんらく)をなす地(ち)なりとあり又/江戸名所(えとめいしよ)はなしに江戸(えと)大薩摩(おほさつま)土佐(とさ)の太夫(たいふ)和泉太夫(いつみたいふ)か|浄瑠理(しやうるり)天満八太夫(てんまはちたいふ)江戸孫四郎(えとまこしらう)江戸半太夫(えとはんたいふ)か説経(せつきやう)鶴屋源太郎(つるやけんたらう)か南京(なんきん)あやつりなと》  《割書:さま〳〵のみせものあり|しことをしるせり》 吉原町(よしはらまちの)旧地(きうち) 和泉町(いつみちやう)高砂町(たかさこちやう)住吉町(すみよしちやう)難波町(なにはちやう)等(とう)其(その)旧地(きうち)なり《割書:住吉町(すみよしちゃう)|難波町(なにはちやう)》  《割書:等(とう)の河岸(かし)を竃河岸(へつゝいかし)と字(あさな)するは竃屋(へつゝいや)多(おほ)き故(ゆゑ)の|俗称(そくしよう)なり此所(このところ)の小溝(こみそ)は則(すなはち)昔(むかし)の曲輪(くるわ)の外堀(そとほり)なりと云》慶長(けいちやう)十七年/庄司甚右衛門(しやうしちんゑもん)  といへる者(もの)街(くるわ)を一所に定(さた)め給はり度旨(たきむね) 官府(くわんふ)に訴(うつた)へ奉(たてまつ)りし故(ゆゑ)に  初(はしめ)てこの此地(このち)を賜(たま)はり花街(くるわ)とす往時(そのかみ)慶長(けいちやう)の頃迄(ころまて)は江戸(えと)に定(さたま)り  たる傾城町(けいせいまち)もなく二軒三軒(にけんさんけん)つゝこゝかしこに散在(さんさい)せし也/其中(そのうち)軒(のき)を  並(なら)へたりしは麴町(かふしまち)八丁目にて十四五/軒(けん)ありて何(いつ)れも京六条(きやうろくてう)より  遷(うつ)【迁は俗字】る又/鎌倉河岸(かまくらかし)にも十四五/軒(けん)大橋(おほはし)柳町(やなきちやう)にも廿/軒(けん)ありしと云 【左丁】  《割書:此(この)大橋(おほはし)と云(いふ)は今(いま)のときははし也|柳町(やなきちやう)と云(いふ)は道三河岸(たうさんかし)の辺(あたり)をいふ》此(この)柳町(やなぎちやう)へは駿府(すんふ)弥勒町(みろくまち)より移(うつ)り其外(そのほか)伏(ふし)  見(み)夷町(ゑひすまち)奈良(なら)木辻(きつし)等(とう)よりも追々(おひ〳〵)大江戸(おほえと)に移(うつ)りぬ慶長(けいちやう)十一年の頃(ころ)  柳町(やなきちやう)の地(ち)は召上(めしあけ)られ元(もと)誓願寺(せいくわんし)前(まへ)へ引移(ひきうつり)たりしか傾城屋(けいせいや)とも打寄(うちより)  相談(さうたん)の上(うへ)場所(はしよ)取立度由(とりたてたきよし)願(ねかひ)けれとも御免(こめん)なき所(ところ)庄司甚右衛門(しやうしちんゑもん)  初(はしめ)て同十七年の頃(ころ)願(ねか)ひ元和(けんわ)三年の頃(ころ)被仰付(おほせつけられ)元和(けんわ)三年/霜月(しもつき)地(ち)  形(きやう)普請(ふしん)出来(しゆつたい)して商賣(しやうはい)せり江戸町(えとちやう)一丁目は御一統(こいつとう)の後(のち)初(はしめ)て開基(かいき)せし  ゆゑかく号(なつ)け同二丁目は鎌倉河岸(かまくらかし)より引(ひけ)京町(きやうまち)一丁目は麴町(かふしまち)より  引(ひく)同二丁目は追々(おひ〳〵)に来(きた)りし上方(かみかた)の傾城屋(けいせいや)を置(おけ)り一/両年(りやうねん)にして  普請(ふしん)悉(こと〳〵)く成就(しやうしゆ)せしかは新町(しんまち)と名付(なつけ)たり角町(すみちやう)は京橋(きやうはし)角町(すみちやう)より  うつり寛永(くわんえい)三年に至(いた)り五町/全(まつた)く家居(いへゐ)落成(らくせい)して此(こゝ)に移(うつ)れり  然(しかる)に明暦(めいれき)二年/浅草(あさくさ)の後(うしろ)今(いま)の地(ち)へ遷(うつ)【迁は俗字】されん事を申わたさるゝと  いへとも明年(みやうねん)引移(ひきうつ)り度(たき)由(よし)の所(ところ)翌年(よくねん)五月十八日の大火(たいくわ)に焼亡(しやうほう)す  依(よつ)て同年六月/悉(こと〳〵)く元吉原(もとよしはら)の地(ち)を引拂(ひきはらふ)同年八月/今(いま)の地(ち)へ移(うつ)る 【右丁】 大門通(おほもんとほり)  昔(むかし)此地(このち)に吉原町(よしはらまち)  ありし頃(ころ)の大  門の通(とほ)りなり  しによりかく  名(な)つく今(いま)は銅(かな)  物屋(ものや)馬具師(はくし)  多(おほ)く住(すめ)り 鐘  ひとつ うれぬ  日も なし 江戸  の   春    其角 【図】 【左丁】 【図】 【右丁】  普請(ふしん)の間(あひた)今戸(いまと)鳥越(とりこえ)山谷(さんや)の間(あひた)に借宅(しやくたく)いたし渡世(とせい)する事を  ゆるさる花街(くわかい)今(いま)に旧地(きうち)に在(あり)なは戯場(しはゐ)相接(あいせつ)し滋(ます〳〵)繁昌(はんしやう)をは極(きは)むへ  けれと祝融(しゆくいう)の祟(たゝり)弥(いよ〳〵)しけかるへししかるに彼地(かのち)へ移(うつ)されし事  おほやけの御/恵(めくみ)いと有難(ありかた)き事にこそ《割書:第六巻(たいろくくわん)新吉原町(しんよしはらまち)の|条下(てうか)に詳(つまひらか)なり》   《割書:按(あんする)に哥舞妓(かふき)は其始(そのはしめ)遊女(いうちよ)より出(いて)たる名(な)にして哥(うた)ひ舞(まふ)の妓女(きちよ)なりといふ|略語(りやくこ)なり昔(むかし)は専(もつは)ら高貴(かうき)の人(ひと)に愛(あい)せられし故(ゆゑ)にたはむれに長門守(なかとのかみ)丹後守(たんこのかみ)》   《割書:抔(なと)と呼(よひ)ならはしけるよりいつしか遊女(いうちよ)およひ哥舞妓役者(かふきやくしや)に太夫(たいふ)の称(しよう)發(おく)りし|となり故(ゆゑ)に今(いま)狂言座元(きやうけんさもと)を太夫(たいふ)元と唱(とな)へ若女形(わかをんなかた)の藝(けい)に長(ちやう)したるを太夫(たいふ)と》   《割書:呼(よ)ふは其余風(そのよふう)なるへしされと今(いま)大江戸(おほえと)には遊女(いうちよ)に太夫(たいふ)の称(しやう)をうしなへり|寛永(くわんえい)十八年の印本(いんほん)そゝろ物語(ものかたり)といへるものにこの吉原町(よしはらまち)の哥舞妓女(かふきをんな)を愛(あい)》   《割書:することをあけたり中(なか)にも佐渡島正吉(さとしましやうきち)村山左近(むらやまさこん)國本織部(くにもとおりへ)北野小太夫(きたのこたいふ)出来島(てきしま)|長門守(なかとのかみ)杉山主殿(すきやまとのも)米島丹後守(よねしまたんこのかみ)なとゝいひて名(な)を得(え)し遊女(いうちよ)あり是等(これら)は一座(いちさ)の》  《割書:かしらにて其頃(そのころ)哥舞妓(かふき)にて和尚(おしやう)と称(しやう)せしとそ又/日(ひ)を重(かさ)ね此町/繁昌(はんしやう)せる故(ゆゑ)|町割(まちわり)をなし本町(ほんちやう)およひ京町(きやうまち)江戸町(えとちやう)伏見町(ふしみちやう)堺町(さかいちやう)大坂町(おふさかちやう)墨(すみ)町/新町(しんまち)抔(なと)と名付(なつけ)家(いへ)》   《割書:居(ゐ)美々(ひゝ)しく軒(のき)をならへ草(くさ)の仮家(かりや)をあらためて板葺(いたふき)に作(つく)りかへ又/本(ほん)町を中(なか)に|こめて其(その)めくりに揚屋町(あけやまち)を置(お)き幾筋(いくすち)ともなく横(よこ)町をひらき能(のう)哥舞妓(かふき)の舞(ふ)》   《割書:台(たい)をしつらひ置(おき)ひことに興行(こうきやう)しける由(よし)記(しる)せり又/江戸名所記等(えとめいしよきとう)にも遊女(いうちよ)等(ら)|芝居(しはゐ)をかまへ哥舞妓(かふき)をなせしに皆(みな)人めてまとひて世(よ)のさまたけともなりけれは》   《割書:是(これ)を禁(きん)せられ其後(そのゝち)は若衆(わかしゆ)哥舞妓(かふき)と云事を興行(こうきやう)ありしかはうるはしき|少年(しやうねん)に哥(うた)諷(うた)はせ舞(まは)せけるとなり》 賀茂真淵翁(かものまふちをう)閑居地(かんきよのち) 濱町(はまちやう)にあり《割書:宝暦(はうれき)十四年/此地(このち)へうつり住(ちゆう)|するよし家集(いへのしふ)に見えたり》真淵翁(まふちをう)一に 【左丁】  岡部衛士(をかへのゑし)又は縣居(あかたゐ)とも称(しよう)せり賀茂縣主成助(かものあかたぬしなりすけ)の末葉(まつえふ)にして世々(よゝ)洛北(らくほく)  賀茂(かもの)大神の宮司(みやつこ)たり同/師朝(もろとも)の時(とき)文永(ふんえい)十一年甲戌/遠州濱松庄(ゑんしうはままつのしやう)  岡部郷(をかへのかう)なる賀茂(かも)の新宮(しんくう)を斎(いつき)まつるへき詔(みことのり)を蒙(こふむ)り又/彼地(かのち)を賜(たまはり)て  其宮(そのみや)の神主(かんぬし)となり即(すなはち)岡部郷(をかへのかう)に住(ちゆう)せり翁(おきな)は其後裔(そのこうえい)定臣(さたをみ)といへるか  子にて元禄(けんろく)十一年丁丑/彼地(かのち)に生(うま)る壮(わかゝりし)より深(ふか)く國朝(おほみくに)の学(まなひ)に心(こゝろ)を  よせ享保(きやうほ)十八年癸丑/花洛(くわらく)に至(いた)り荷田宿祢春満(かたのすくねあつままろ)の教(をしへ)を受(う)け後(のち)  大(おほい)に國学(こくかく)を以(もつ)て世(よ)に鳴(なる)《割書:荷田宿祢(かたのすくね)は本姓(ほんせい)なり世(よ)に羽倉斎宮(はくらいつき)|と称(しよう)す此人(このひと)は洛南(らくなん)稲荷社(いなりのやしろ)の祠官(しくわん)なり》寛延(くわんえん)三年  庚午/大江戸(おほえと)に来(きた)り田安(たやす)の殿(との)の召(めし)に応(おう)し古(いにし)への書(ふみ)の道(みち)の博士(はかせ)として  特(こと)に愛(めて)させ給ひ其頃(そのころ)御衣(きよい)を賜(たま)はりしかは其(その)かしこまりに和哥(わか)を奉(たてまつ)る   あふひてふあやの御衣を氏人のかつかむものと神やしりけん  其後(そのゝち)宝暦(はうれき)十年庚辰/仕(つかへ)をかへし奉(たてまつ)りて濱町(はまちやう)に隠栖(ゐんせい)す翁(おきな)を縣居(あかたゐ)  と唱(とな)ふるは庭(には)を田居(たゐ)の様(やう)に作(つく)りしかも賀茂氏(かもうち)の姓(かはね)にも縁(よし)あれは  とてみつから家(いへ)の号(な)に呼(よは)れたるとなり生涯(しやうかい)の著述(ちよしゆつ)凡(およそ)六十/餘部(よふ)其(その) 【右丁】 新大橋(しんおほはし) 三派(みつまた) 【図】 【左丁】  山もあり     また   舩も     あり  川もあり  数は    ひとふた   みつまたの       景    半井      卜養 【図】  永代橋 【右丁】  門(もん)に入(いり)て教(をしへ)を受(うけ)世(よ)に其名(そのな)を聞(きこ)ゆる者(もの)本居宣長(もとおりのふなか)橘千蔭(たちはなちかけ)平(たひらの)  春海(はるみ)藤原宇万伎(ふちはらのうまき)楫取魚彦(かんとりなひこ)及ひ倭文女(しつちよ)等(とう)也  家集 《割書:はう暦(れき)十四年の秋(あき)濱(はま)まちといふ所へ家(いへ)をうつして》     《割書:庭(には)を野へまたは畑(はた)につくりて所もいさゝかかたへなれは|名をあかたゐといひて住そめける九月十三夜に月めてん|とてしたしき人〳〵つとひて哥よみけるついてによめる》   こほろきの鳴やあかたの我宿に月かけ清しとふ人もかな   あかたゐのちふの露原かきわけて月見にきつる都人かも     《割書:くすみ氏(うち)のもとより嵐(あらし)の朝(あした)とふらひておこしたる|かへりことに夜(よ)へ吹(ふき)ちらしたる屋根板(やねいた)にかきて|やりぬ》   野わきしてあかたの宿はあれにけり月見にこよと誰に告まし     《割書:きさらきのまつかたいく女の君おはしたるに庭(には)を|はたにつくれるかすゝなの花咲(はなさき)たりけるに》   春されは鈴菜花咲あかたみに君来まさんと思ひかけきや 新大橋(しんおほはし)両國橋(りやうこくはし)より川下(かはしも)の方(かた)濱町(はまちやう)より深川(ふかかは)六/間堀(けんほり)へ架(わた)す長(なかさ)  凡(およそ)百八間あり此橋(このはし)は元禄(けんろく)六年癸酉/始(はしめ)て是(これ)をかけ給ふ両國橋(りやうこくはし)の 【左丁】  旧名(きうみやう)を大橋(おほはし)と云/故(ゆゑ)に其名(そのな)によつて新大橋(しんおほはし)と号(なつけ)らるゝとなり  風羅袖日記 《割書:元禄(けんろく)五申年の冬/深川大橋(ふかかはおほはし)》        《割書:なかはかゝりけるとき》     初雪やかけかゝりたるはしのうへ 芭蕉        《割書:同しく橋(はし)成就(しやうしゆ)せし時(とき)》    ありかたやいたゝひて踏はしのしも   仝 三派(みつまた) 新大橋(しんおほはし)の下(しも)分流(ふんりう)の所(ところ)を云(いふ)浅草川(あさくさかは)と箱崎(はこさき)の間(あひた)の流(なかれ)との  分(わか)れ流(なか)るゝ所(ところ)なれはなり《割書:此所(このところ)を別(わか)れの淵(ふち)と云(いふ)は汐(しほ)と|水(みつ)とのわかれ流(なか)るゝ所故(ところゆゑ)にいふ》此所(このところ)は月(つき)の  名所(めいしよ)なり《割書:因(ちなみ)に云(いふ)明和(めいわ)八年辛卯/中流(ちゆうりう)を堙埋(いんまい)して人居(しんきよ)とし中洲(なかす)と称(しよう)せり|されと洪水(こうすゐ)の時(とき)便(たより)あしきとて寛政(くわんせい)元酉年に至(いた)り復(また)元(もと)の如(こと)くの川(かは)に》  《割書:堀立(ほりたて)|らる》昔(むかし)は多(おほ)く遊女(いうちよ)哥舞妓(かふき)の類(たく)ひこゝに船(ふね)をうかへて宴(えん)を催(もよほ)し殊(こと)  更(さら)月(つき)の夕(ゆふへ)は清光(せいくわう)の隈(くま)なきを翫(もてあそ)ひ酒(さけ)に對(たい)して哥(うた)諷(うた)ひなんと  甚(はなはた)賑(にきは)しかりしとなり《割書:江戸雀(えとすゝめ)に諸國(しよこく)の大船(おほふね)殊(こと)に唐船(たうせん)此川(このかは)にかくる|隈(くま)なき納涼(なうりやう)の地(ち)なれは船遊(ふなあそ)ひの船(ふね)に波(なみ)の》  《割書:つゝみ風(かせ)のさゝら芦(あし)の葉(は)の|笛吹(ふへふき)ならしと云々》     三叉江泛舟       春台    風静叉江不起波 軽舟汎々酔中過 天遊只 【右丁】 【図】 四日市(よつかいち) うぢ橋 【左丁】 【図】 江戸橋 【右丁】 《割書:三河万歳(みかはまんさい)江戸(えと)に|下りて毎歳(まいとし)極月(しはす)|末(すゑ)の夜(よ)日本橋(にほんはし)の|南詰(みなみつめ)に集(あつま)りて|才蔵(さいさう)をえらひて|抱(かゝ)ゆるなり是を|才蔵/市(いち)といふ》 【図】 【左丁】    在人間外 長嘯高吟雑棹歌     《割書:人々にともなはれて八月の十六夜/三派(みつまた)に舟(ふね)を|うかへて月見(つきみ)はへりしに歌(うた)諷(うた)ふ哥舞妓(かふき)子の|年十六なりといへは》    美しき人も二八の十六夜月もみつまたあるものてない   卜養    山もありまた舟もあり川もあり数はひとふたみつまたの景 仝 江戸橋(えとはし) 日本橋(にほんはし)の東(ひかし)にありて伊勢町(いせちやう)より本材木町(ほんさいもくちやう)へ行(ゆく)間(あひた)に架(わた)す  南(みなみ)の橋詰(はしつめ)巽(たつみ)の角(すみ)に船宿(ふなやと)あり江戸(えと)の内(うち)諸方(しよはう)への船場(ふなは)なり又  同所/西(にし)の方(かた)木更津河岸(きさらつかし)と字(あさな)す房州(はうしう)木更津(きさらつ)渡海往還(とかいわうくわん)の  船(ふね)こゝに集(つと)ふ故(ゆゑ)に名(な)とす 四日市(よつかいち) 江戸橋(えとはし)と日本橋(にほんはし)の間(あひた)川(かは)より南(みなみ)の方(かた)の大路(おほち)を云(いふ)昔(むかし)は四日市(よつかいち)  場(は)といひし村(むら)にていにしへは今(いま)の繫華(はんくわ)の如(こと)き事なけれは萬(よろつ)の賈(こ)  衒(けん)も市(いち)をなして交易(かうえき)せされは得(え)かたし故(ゆゑ)に所々(しよ〳〵)に其日市(そのひいち)を  立(たつ)る區(ちまた)を名(な)つけて某日市(それのひのいち)と云(いふ)羽州(うしう)のあたりには二日/市(いち)と云(いふ)より  十日/市(いち)と云(いふ)迄(まて)區(ちまた)の名(な)につき交易(かうえき)せり此地(このところ)も昔(むかし)は毎月四の日に 【右丁】 中橋(なかはし) 【図】 【左丁】 【図】 【右丁 挿絵】 南傳馬町(みなみてんまちやう) 祇園會(きをんゑ) 御旅所(おたひしよ) 【左丁】  市(いち)を立(たて)し所(ところ)なりとそ故(ゆゑ)に今(いま)も其(その)遺風(ゐふう)にて草物(くさもの)又は野菜(やさい)の  類(たく)ひ其(その)余(よ)乾魚(ひうを)なとの市(いち)ありて繁昌(はんしやう)の地(ち)なり此地(このち)に根津(ねつ)  権現(こんけん)の御旅所(おたひしよ)あり《割書:正徳(しやうとく)年中(ねんちゆう)に造(さう)|営(えい)ありとそ》同所/河岸(かし)に傍(そひ)て封疆蔵(とてくら)  あり下(した)より石(いし)を以(もつ)て畳揚(たゝみあけ)上に家根(やね)を覆(おほ)ふ《割書:明暦(めいりやく)開板(かいはん)のむさしにあふ|みといへる草紙(さうし)に日本(にほん)》  《割書:橋(はし)の南(みなみ)萬町(よろつちやう)より四日市迄(よつかいちまて)の町屋(まちや)を取除(とりの)け高(たか)さ四/間(けん)に川端(かははた)にそふて|北(きた)をうけ東西(とうさい)二町/半(はん)に土手蔵(とてくら)を畳(たゝみ)あけらると云々/今(いま)霊岸島(れいかんしま)【灵は略字】に四日市(よつかいち)と》  《割書:いへる町家(まちや)あるは此所(このところ)|より引(ひき)たるなり》 祇園會旅所(きおんゑたひしよ) 南傳馬町(みなみてんまちやう)一丁目と二丁目の間(あひた)の辻(つし)にあり本社(ほんしや)は神田(かんた)  明神(みやうしん)の地(ち)にあり祭所(まつるところ)素盞嗚尊(すさのをのみこと)にして是(これ)を大政所(おほまんところ)と称(しよう)せり  毎年六月七日こゝに神幸(しんかう)ありて同十四日/帰輿(きよ)し奉(たてまつ)る其(その)間(あひた)参詣(さんけい)  多(おほ)く甚(はなはた)にきはへり 鎧(よろひ)の渡(わたし) 茅場町(かやはちやう)牧野家(まきのけ)の後(うしろ)を云(いふ)此所(このところ)より小網町(こあみちやう)への舟渡(ふなわたし)を  しか唱(とな)へたり往古(わうこ)は大江(たいかう)なりしとなり里諺(りけん)に云/永承年間(えいしやうねんかん)源(みなもとの)  義家朝臣(よしいへあそん)奥州征伐(あうしうせいはつ)の時(とき)此所(このところ)より下総國(しもふさのくに)に渡(わた)らんとす時(とき)に 【右丁】 鎧之渡(よろひのわたし) 【図】 【左丁】 【図】 【右丁】  暴風(はうふう)吹發(ふきおこ)り逆浪(けきらう)天(てん)を浸(ひた)し既(すて)に其舩(そのふね)覆(くつかへ)らんとす義家朝臣(よしいへあそん)  鎧一領(よろひいちりやう)をとつて海中(かいちゆう)に投(とう)し龍神(りうしん)に手向(たむけ)て風波(ふうは)の難(なん)なか  らしめむ事(こと)を祈請(きしやう)す遂(つひ)につゝかなく下総國(しもふさのくに)に着岸(ちやくかん)ありし  より此所(このところ)を《振り仮名:鎧か淵|よろひ ふち》と呼(よ)へりとなり《割書:元禄(けんろく)開板(かいはん)の江戸鹿子(えとかのこ)に平将門(たひらのまさかと)|此所(このところ)に兜鎧(かふとよろひ)を置(おく)兜(かふと)は塚(つか)に築(つき)て》  《割書:牧野侯(まきのこう)の庭中(ていちゆう)に|ありと記(しる)せり》 兜塚(かふとつか) 同所/海賊橋(かいそくはし)の東詰(ひかしつめ)牧野家(まきのけ)の庭中(ていちゅう)にあり源義家朝臣(みなもとのよしいへあそん)  奥州征伐(あうしうせいはつ)凱陣(かいちん)のとき先(さき)の報賽(ほうさい)のため且(かつ)は東夷鎮護(とういちんこ)の為(ため)と  して日本武尊(やまとたけのみこと)の古(ふる)き例(ためし)に準(なら)ひ自(みつから)の兜(かふと)を一堆(いつたい)の塚(つか)に築(つ)き  篭(こめ)給ひしとなり今(いま)其(その)傍(かたわら)に義家朝臣(よしいへあそん)の霊(れい)を鎮(まつ)る小祠(こみや)  あり《割書:紫(むらさき)の一本(ひともと)といへる双紙(さうし)に甲山(かふとやま)とありて藤原秀郷(ふちはらのひてさと)平将門(たひらのまさかと)を討(うち)|其首(そのくひ)を冑(かふと)と共に持添(もちそへ)きたりしか冑(かふと)をは此地(このち)に埋(うつ)めたるとあり》 永田馬場(なかたはゝ)山王(さんわう)御旅所(おんたひしよ) 茅場町(かやはちやう)にあり遥拝(ゑうはい)の社(やしろ)二宇(にう)並(なら)ひ建(たて)り  寛永(くわんえい)年間(ねんかん)此地(このち)を山王(さんわう)の御旅所(おたひしよ)に定(さため)らるゝといへり《割書:一/宇(う)は神主(かんぬし)|樹下氏持(しゆけうちもち)也》 《割書:一/宇(う)は別當(へつたう)|観理院持(くわんりゐんもち)也》隔年(かくねん)六月十五日/御祭礼(こさいれい)にて永田馬場(なかたはゝ)の御本社(こほんしや)より 【左丁】  神輿三基(しんよさんき)此所(このところ)に神幸(しんかう)あり假(かり)に神殿(しんてん)を儲(まう)け供御(くこ)を献備(けんひ)し  別當(へつたう)は法楽(ほふらく)を捧(さゝ)け神主(かんぬし)は奉幣(ほうへい)の式(しき)を行(おこな)ひ夜(よ)に入て帰輿(きよ)  なり其(その)行装(きやうさう)榊(さかき)大幣(おほぬさ)菅蓋(すけかさ)錦蓋(にしきのかさ)雲(くも)の如(こと)く社司(しやし)社僧(しやそう)は騎馬(きは)に  跨(またか)り或(あるひ)は輿(こし)に乗(しやう)し前後(せんこ)に扈従(こしう)す諸侯(しよこう)よりは神馬(しんめ)長柄鎗(なかえのやり)  等(とう)を出(いた)されて途中(とちゆう)の供奉(くふ)厳重(けんちゆう)なり又/氏子(うちこ)の町々(まち〳〵)よりは思(おも)ひ〳〵に  練物(ねりもの)あるひは花屋臺(はなやたい)車楽(たんしり)等(とう)に錦爛純子(きんらんとんす)抔(なと)のまん幕(まく)を打(うち)  はへ各(おの〳〵)其(その)出立(いてたち)花(はな)やかに羅綾(らりやう)の袂(たもと)錦繡(きんしう)の裔(すそ)をひるかへし粧(よそほ)ひ  巍々(きゝ)堂々(とふ〳〵)として善美(せんひ)を尽(つく)せり此日(このひ) 官府(くわんふ)の御沙汰(こさた)として  神輿通行(しんよつうかう)の御道筋(おんみちすち)は横(よこ)の小路々々(こうち  〳〵 )は矢来(やらい)を結(ゆ)はしめて往(わう)  来(らい)を禁せらる実(まこと)に大江戸(おほえと)第一(たい  )の大祀(たいし)にして一時(いちし)の壮観(さうくわん)たり 薬師堂(やくしたう) 同(おなし)く御旅所(おんたひしよ)の地(ち)にあり本尊(ほんそん)薬師如来(やくしによらい)は恵心僧都(ゑしんそうつ)の  作(さく)なり山王権現(さんわうこんけん)の本地佛(ほんちふつ)たる故(ゆゑ)に慈眼大師(しけんたいし)勧請(くわんしやう)し給ふ  といへり縁日(えんにち)は毎月八日十二日《割書:正五九月廿日|には開帳(かいちやう)あり》にして門前(もんせん)二三町の間/植木(うゑき)の 【右丁】 六月十五日    山王祭(さんわうまつり) 【図】   《割書:麴|町》壹町目 【左丁】 我等   まて  天下   まつり      や    土車     其角 【図】 【右丁】 其二 【図】  山王御祭禮  神主  別當 【左丁】 【図】  奉納山王御祭禮  はこさきはし  衆徒  榊  山王御祭禮  薬師堂 【右丁】 【図】  山王御旅所  三ノ宮  れいかんはし  二ノ宮  山王  山王  獅頭 【左丁】 其三 【図】  一ノ宮  鉾  奉獻御祭禮  奉獻御祭禮  湊橋  山王御祭禮 【右丁】 永田馬場(なかたはゝ) 山王(さんわう)御旅所(おんたびしよ)  六月十五日  御祭礼(こさいれい)の  時(とき)此所(このところ)へ  神輿(しんよ)行幸(きやうかう)  あり 【図】  【枠内】山王宮  【枠内】山王権現 【左丁】 茅場町(かやはちやう)  薬師堂(やくしたう) 【図】  【枠内】ゑんま  【枠内】役行者  【枠内】いなり  【枠内】地蔵  【枠内】此辺傘屋多し  卍  卍 【右丁】 夕やくし  すゝしき     風の   誓    かな     其角 【図】 【左丁】 毎月八月十二日 薬師(やくし)の縁日(えんにち)には 植木(うへき)を商(あきな)ふ事 夥(おひたゝ)しく参詣(さんけい)  群集(くんしふ)して   賑(にきわ)えり 【図】  市(いち)立(たて)り別當(へつたう)は醫王山(ゐわうさん)智泉院(ちせんゐん)と号(かう)す《割書:元(もと)は鎧島山(かいとうさん)と|号(なつけ)しとなり》本尊縁起(ほんそんえんきに)日(いはく)  恵心僧都(ゑしんそうつ)は其父母(そのふほ)大和國(やまとのくに)高尾寺(たかをてら)の薬師佛(やくしふつ)に禱(いの)りて設(まう)くる  所(ところ)の霊児(れいし)なり僧都(そうつ)佛門(ふつもん)に入て後(のち)法恩(ほふおん)を謝(しや)せんか為(ため)自(みつか)ら此本(このほん)  尊(そん)を彫刻(てうこく)ありて高尾寺(たかをてら)に安置(あんち)せられしに遥(はるか)の後(のち)相州(さうしう)大場(おほは)  村(むら)に遷(うつ)し奉(たてまつ)りたり然(しかる)に慈眼大師(しけんたいし)東叡山(とうえいさん)にうつし奉(たてまつ)る此地(このち)也  大城(たいしやう)の東(ひかし)に位(くらゐ)ししかも山王(さんわう)の本地佛(ほんちふつ)たるによりこゝに安置(あんち)なし  奉(たてまつ)らるゝとなり  天満宮(てんまんくう) 同(おなし)境内(けいたい)にあり社司(しやし)諸井氏(もろゐうち)奉祀(ほうし)す《割書:二月八月共に廿五日を|祭(さい)日とせり神像(しんさう)は画(くわ)》  《割書:幅(ふく)にして寛永(くわんえい)年間(ねんかん)柳営(りうえい)に奉仕(ほうし)の春日局(かすかのつほね) 大樹(たいしゆ)より拝受(はいしゆ)せられしを山王(さんわう)の|神主(かんぬし)日吉(ひよし)右京進(うきやうのしん)へ附与(ふよ)あり其後(そのゝち)諸井氏(もろゐうち)請(こひ)得(え)てこゝに勧請(くわんしやう)なし奉(たてまつ)るとなり》  類柑子  北(きた)の窓(まと)   我栖(わかすむ)北隣(きたとなり)に芦荻(あしをき)茂(しけ)く生(おひ)て笹阿(さゝのくま)なる地(ち)あり茅場町(かやはちやう)といふ   名(な)にふれて昔(むかし)は海邊(うみへ)なりしを今(いま)は栄行(さかえゆく)家作(いへつく)りして   山王権現(さんわうこんけん)の御旅所(おたひしよ)と定(さた)め薬師佛(やくしふつ)立(たち)給ふに堂(たう)のかみ斗(はかり) 【左丁】   たゝほのかに繪(ゑ)にかけると見ゆ空地(くうち)は水(みつ)をためて池(いけ)めかし   深草(みくさ)引(ひく)人しなけれは蓼(たて)の花穂(はなほ)に立(たち)のひなも■【みヵ】箒木(はゝきゝ)   色(いろ)つきわたる雨風(あめかせ)につけても虫(むし)の聲(こゑ)聞(きゝ)まさり大(おほ)かたの   空(そら)もうつゝなるに待(まつ)にかならす出(いつ)る月(つき)かなとことはりし   窓(まと)ふたかたに明(あく)めり《割書:中略》北(きた)にうたゝねして炎夏(えんか)わつら   はしからす竹(たけ)の簀子(すのこ)に這出(はひいて)て蛍(ほたる)をかそふるもはした   なし娘(むすめ)の四つはかりなるあふなくふとはしりてとらん   とすあやまちすへしさはおりぬものよ手(て)とりてなと   母(はゝ)そすかすめり《割書:下略》 俳仙(はいせん)宝晋斎(はうしんさい)其角翁(きかくをうの)宿(やと) 茅場町(かやはちやう)薬師堂(やくしたう)の辺(あたり)也(なり)といひ傳(つた)ふ元禄(けんろく)の  末(すへ)こゝに住(ちゆう)す即(すなはち)終焉(しゆうえん)の地(ち)なり    《割書:按(あんする)に梅(うめ)か香(か)や隣(となり)は荻生(をきふ)惣右衛門といふ句(く)は其角翁(きかくをう)のすさひなる由(よし)普(あまね)く人口(しんこう)に|膾炙(くわいしや)す依(よつ)て其(その)可否(かひ)はしらすといへともこゝに注(ちゆう)して其(その)居宅(ゐたく)の間(あひた)近(ちか)きをしるの一助(いちしよ)たらしむるのみ》 徂徠先生(そらいせんせい)居宅地(きよたくのち) 同所/植木店(うゑきたな)なりといふ先生(せんせい)一/号(かう)を蘐園(くわんゑん)といはれし 【右丁】 伊雑(いそへ)大神宮(たいしんくう) 【図】 【左丁】 勧進聖判職人尽 歌合の内花と獅子舞 たはふれて  春の   木かけに  まふ 獅子の  たゝく   鼓に  花も咲そへ   逍遥院 【図】  蘐(くわん)は萱(かや)と同し字義(しき)なれは称(しよう)せられしなりよつて此地(このち)に住(ちゆう)せ  られし事(こと)知(し)るへし 伊雑(いそへ)太神宮(たいしんくう) 北八町堀(きたはつちやうほり)松屋橋(まつやはし)より一町はかり艮(うしとら)の方(かた)塗師町(ぬしちやう)代地(たいち)  町屋(まちや)の間(あひた)にあり《割書:當社(たうしや)ある故(ゆゑ)に此所(このところ)を字(あさな)|して磯辺(いそへ)横町(よこちやう)と呼(よ)へり》土俗(とそく)磯辺(いそへ)太神宮(たいしんくう)といふ  伊雑(いそへ)の御神(おんかみ)は天照皇太子神宮(てんしやうくわうたいしんくう)の別宮(へつくう)にして祭神(さいしん)は伊佐波登(いさはと)  美命(みのみこと)と玉柱屋姫命(たまはしらやひめのみこと)二座(にさ)なり寛永(くわんえい)元年甲子/伊勢長官(いせちやうくわん)出口(てくち)  市正(いちのかみ)某(それかし)伊雑宮(いそへのみや)より移(うつ)しまゐらせ通(とほり)三丁目に宮社(きうしや)を営(いとな)めり  《割書:今(いま)神明長屋(しんめいなかや)と|唱(とな)ふるは則(すなはち)是(これ)也》同十年癸酉/今(いま)の地(ち)へ移(うつ)し奉(たてまつ)るといへり例祭(れいさい)は  六月廿六日に修行(しゆきやう)す 《振り仮名:三ッ橋|み   はし》 一ッ所に橋(はし)を三所/架(わた)せし故(ゆゑ)にしか呼(よへ)り北八町堀(きた    ほり)より本材木(ほんさいもく)  町(ちやう)八丁目へ渡(わた)るを弾正橋(たんしやうはし)と呼(よ)ひ《割書:寛永(くわんえい)の頃(ころ)今(いま)の松屋町(まつやちやう)の角(すみ)に島田(しまた)|弾正少弼(たんしやうのせうひつ)やしきありし故(ゆゑ)といふ》本(ほん)  材木町(さいもくちやう)より白魚屋鋪(しらうをやしき)へ渡(わた)るを《振り仮名:牛の草橋|うし  くさはし》といふ又/白魚屋敷(しらうをやしき)より  南八町堀(みなみ   ほり)へ架(か)するを真福寺橋(しんふくしはし)と号(なつ)くるなり 【左丁】 霊巌島(れいかんしま) 箱崎(はこさき)の南(みなみ)にあり《割書:町数(ちやうすう)今十八|町/斗(はかり)あり》昔(むかし)雄誉(いうよ)霊巖和尚(れいかんおしやう)此地(このち)の海(かい)  汀(てい)を築立(つきたて)て梵宮(ほんくう)を営(いとなみ)て霊巖寺(れいかんし)と号(なつ)く《割書:依(よつ)て後世(こうせい)霊巖島(れいかんしま)といふ|地名(ちめい)起(おこ)れり初(はしめ)は江戸(ゑと)の中(なか)》  《割書:島(しま)とよひしとなり東海道名所記(とうかいたうめいしよき)にれいかん島(しま)も江戸(えと)の|地(ち)をはなれて東(ひかし)の海中(かいちゆう)へ築出(つきいた)したる島(しま)なりと云云》後世(こうせい)寺(てら)を深川(ふかゝは)へ移(うつ)  されて其跡(そのあと)を町家(まちや)となし給ふといへり故(ゆゑ)に此地(このところ)の北(きた)の通(とほ)りより  茅場町(かやはちやう)へ渡(わた)る橋(はし)を霊岸橋(れいかんはし)と号(なつ)けたり 随見屋鋪(すゐけんやしき) 同所/新川(しんかは)一の橋(はし)の北詰(きたつめ)塩町(しほちやう)の辺(へん)其(その)舊地(きうち)なりといへり  《割書:此所(このところ)に瀬戸物屋(せとものや)多(おほ)く住(ちゆう)せり故(ゆゑ)に茶碗(ちやわん)|鉢店(はちたな)とも号(なつ)く或(あるひは)随見長屋(すゐけんなかや)ともよへり》川村随見(かはむらすゐけん)は諸国(しよこく)の水土(すゐと)を考(かんか)ふ  るに精(くは)しふして大(おほい)に世(よ)に勲功(くんこう)あり海(うみ)を築(きつ)き川(かは)を堀(ほり)田畑(たはた)を開(かい)  發(はつ)す河内國(かはちのくに)の水(みつ)を落(おと)さんとして摂泉(せつせん)の堺(さかい)に大和川(やまとかは)を堀(ほり)淀(よと)  川(かは)の溢(あふるゝ)を治(をさめ)んとして大坂(おほさか)に安治川(あちかは)を鑿(ほり)《割書:随見(すゐけん)自(みつか)らの実名(しつみやう)を安治(やすはる)と|いふ音(おん)に呼(よひ)て安治川(あちかは)と云とそ》  其(その)土砂(としや)を以(もつ)て川下(かはしも)に新(あらた)に山(やま)を築(きつ)き洪水(こうすゐ)の時(とき)高波(たかなみ)を防(ふせき)除(のそ)かむ  為(ため)を専(もつは)らとし且(かつ)沖(おき)よりの目當(めあて)とす《割書:世(よ)に随見山(すゐけんやま)と称(しよう)せり|本名(ほんみやう)は波除山(なみよけやま)といへり》其餘(そのよ)の功(こう)  最(もつとも)少(すくな)からす《割書:菊岡沾涼(きくをかせんりやう)云く川村随見(かはむらすゐけん)は|御幕下(おんはくか)川村氏(かはむらうち)の始祖(しそ)なりと云々》 【右丁】 《振り仮名:三ッ橋|み   はし》 【図】 【枠内】牛のくさ橋 【枠内】弾正橋 【左丁】 風羅袖日記  八丁堀にて 菊の   花 さくや  石屋   の 石  の   間  芭蕉 【図】  イ ナ リ 【枠内】七観音 【枠内】いなり 【枠内】真福寺橋 【右丁】 新川(しんかは)  酒問屋(さかとひや) 【図】 【左丁】 【図】 【枠内】酒賣場 【右丁】 新川(しんかは)  大神宮(たいしんくう) 【図】 【枠内】八百万神 【枠内】牛頭大王 【枠内】冨士 【枠内】いなり 【枠内】天神 【枠内】三峰 【枠内】弁天 【左丁】 何の  木の 花  とも しら  す 匂ひ  かな  芭蕉 【図】 【枠内】いなり 【枠内】拝殿 【右丁】 伊勢太神宮(いせたいしんくう) 同所/四日市町(よつかいちまち)にあり此地(このち)の産土神(うふすな)とす《割書:此所(このところ)を俗間(そくかん)に新川(しんかは)と|唱(とな)ふ酒問屋(さけとひや)多(おほ)く》  《割書:ありて繁(はん)|昌(しやう)の地(ち)なり》伊勢(いせ)内外(ないけ)両(りやう)皇太神宮(くわうたいしんくう)を勧請(くわんしやう)し奉(たてまつ)り遥拝所(えうはいしよ)とす遷(せん)  宮(くう)伊勢(いせ)と同年(とうねん)なり《割書:江戸鹿子(えとかのこ)には寛永(くわんえい)|中(ちゆう)草剏(さうさう)とあり》伊勢内宮(いせないくう)の社僧(しやそう)慶光院(けくわうゐん)比(ひ)  丘尼(くに)江戸(えと)参府(さんふ)の折柄(をりから)旅亭(りよてい)の儲(まうけ)の為(ため)に此地(このち)を給ふとそ《割書:慶光院(けいくわうゐん)伊勢(いせ)|上人は格式(かくしき)》  《割書:御門跡(こもんせき)並(なみ)に比(ひ)せられ紫衣(しえ)を賜(たま)はりて御朱印地(こしゆゐんち)なり始祖(しそ)の比丘尼(ひくに)は内宮(ないくう)建立(こんりふ)の時(とき)|より連綿(れんめん)として社僧(しやそう)たり依(よつ)て内宮(ないくう)の御師(おんし)山本太夫(やまもとたいふ)は始祖(しそ)慶光院(けくわうゐん)の子孫(しそん)なる故に|今(いま)も彼寺(かのてら)の住持(ちゆうち)比丘尼(ひくに)は代々この家(いへ)より嗣(つき)侍(はへ)るとなり》    《割書:按(あんする)に明暦(めいれき)の江戸繪図(えとゑつ)に今(いま)所謂(いはゆる)三の御丸(おんまる)の地(ち)に伊勢(いせ)上人の屋鋪(やしき)としるせし所あり|此(この)上人の旅宿(りよしゆく)なるへし後(のち)に此所(このところ)へ遷(うつ)させられしならん》  《割書:年山紀聞云》    《割書:永禄元年日記《割書:記者|不詳》後 ̄ノ六月三日中山亜相《割書:神官ノ|傳奏》被_レ談云 ̄ク去月廿三日神官《割書:外|宮》|上棟無事 ̄ニ令_二沙汰_一之由注進有_レ之或比丘尼号_二 上人_一《割書:先皇 ̄ノ御代被_レ 下_二 上人 ̄ノ|号_一女房初例歟》名 ̄ハ■号_二|慶光院 ̄ト_一以_二諸国勧進之力_一此上棟取 ̄リ立 ̄ル者也内々又内宮 ̄ノ上棟存立 ̄ト云云雖_二|不相應之事_一末世如_レ此之儀神恵有_二子細_一歟不_二測知_一事也》 永代橋(えいたいはし) 箱崎(はこさき)より深川(ふかかは)佐賀町(さかちやう)に掛(かく)る元禄(けんろく)十一年戊寅/始(はしめ)て是(これ)を  架(か)せしめらる永代島(えいたいしま)に架(わた)す故(ゆゑ)に名(な)とす長(なかさ)凡(およそ)百十間/餘(よ)あり此所(このところ)は  諸国(しよこく)への廻船(くわいせん)輻湊(ふくそう)の要津(えうしん)たる故(ゆゑ)に橋上(きやうしやう)至(いたつ)て高(たか)し《割書:此橋(このはし)のかゝら|さりし已前(いせん)は》  《割書:深川(ふかかは)の大渡(おほわた)りとて|舩渡(ふなわた)しなりといふ》東南(とうなん)は蒼海(さうかい)にして房総(はうさう)の翠巒(すゐらん)斜(なゝめ)に開(ひら)け芙(ふ) 【左丁】  蓉(よう)の白峯(はくほう)は大城(たいしやう)の西(にし)に峙(そはたち)筑波(つくは)の遠嶺(ゑんれい)は墨水(ほくすゐ)に臨(のそ)むて朦朧(もうろう)たり  台嶺金龍(たいれいきんりう)の宝閣(はうかく)は緑樹(りよくしゆ)の蔭(かけ)に見(み)えかくれて自(おのつから)丹青(たんせい)を施(ほとこ)すに  似(に)て風光(ふうくわう)さなから画中(くわちゆう)にあるかことし 薬師堂(やくしたう) 霊巖島(れいかんしま)銀町(しろかねちやう)にあり別當(へつたう)は真言宗(しんこんしう)にして医王山(ゐわうさん)圓覚寺(ゑんかくし)  と号(かう)す本尊(ほんそん)は三州(さんしう)鳳来寺(ほうらいし)峰(みね)の薬師(やくし)と同木同作(とうほくとうさく)にして《割書:理趣仙人(りしゆせんにん)|刻(こく)する所(ところ)也》  大宝年間(たいはうねんかん)に造立(さうりふ)ありしとなり《割書:座像(ささう)御丈(みたけ)三尺あり鳳来寺薬師(ほうらいしやくし)|と称(しよう)し又は橋本薬師(はしもとやくし)とも称(しよう)せり》此霊(このれい)  像(さう)はもと高野山(かうやさん)橋本(はしもと)の里(さと)にありしを慶長年間(けいちやうねんかん)當寺(たうし)の開基(かいき)  恵生(ゑしやう)阿闍梨(あしやり)此地(このち)に遷(うつし)奉(たてまつ)り後(のち)霊巖寺(れいかんし)の境内(けいたい)に安(あん)す《割書:深川(ふかかは)霊(れい)|巖寺(かんし)の》  《割書:事(こと)なり彼寺(かのてら)始(はしめ)|此地(このち)にあり》萬治(まんち)の後(のち)霊巖寺(れいかんし)深川(ふかかは)にうつる其頃(そのころ)此(この)薬師堂(やくしたう)と  稲荷(いなり)の社(やしろ)のみは此地(このち)に残(のこ)しとゝめらるゝといへり 橋本稲荷社(はしもといなりのやしろ) 同(おなし)境内(けいたい)にあり此所(このところ)の鎮守(ちんしゅ)とす社記云(しやきにいはく)神像(しんさう)は弘法(こうほふ)  大師(たいし)の作(さく)にして《割書:御丈(みたけ)一尺|二寸あり》山城國(やましろのくに)伏見稲荷明神(ふしみいなりみやうしん)と同木同作(とうほくとうさく)なりと  いへり往古(そのかみ)高野山(かうやさん)の麓(ふもと)橋本(はしもと)の里(さと)に宮居(みやゐ)を造(つく)りて安置(あんち)ありしか 【右丁】 永代橋(えいたいはし) 東望天邊海氣高 三又口上接滔々 布帆一片懸秋色 欲破長風萬里涛      南郭 【図】 【左丁】 【図】 【右丁】  故(ゆゑ)ありて後(のち)こゝに勧請(くわんしやう)なし奉(たてまつ)るとなり 恵比須前(ゑひすまへ)稲荷(いなり)祠 同所/東湊町(ひかしみなとちやう)の南高橋(みなみたかはし)の北詰(きたつめ)人家(しんか)の間(あひた)に  あり《割書:別當(へつたう)は天台宗(てんたいしう)にして|普門院(ふもんゐん)と号(かう)す》昔(むかし)は向井侯(むかゐこう)のやしきにありしか海賊橋(かいそくはし)より  引移(ひきうつ)られし頃(ころ)宮居(みやゐ)を構(かまへ)の外(そと)に出(いた)されしとそ此所(このところ)をゑひすの  宮前(みやまへ)又は蛭子前(えひすまへ)と唱(とな)へはへり《割書:古老云(こらういは)く昔(むかし)此地(このち)より鉄炮洲(てつはうす)築地(つきち)へ|かけて一圓(いちゑん)の海(うみ)なりし頃(ころ)は此所彼所(こゝかしこ)に》  《割書:出洲(てす)のみあり此辺(このあたり)の洲(す)に芝海老(しはえひ)といへるもの多(おほ)く集(あつま)る故(ゆゑ)に漁(きよしん)字(あさな)にえひの洲(す)|と唱(とな)へ其(その)洲崎(すさき)にありし稲荷(いなり)の宮(みや)なるをもて海老洲(えひす)の宮(みや)とのみよひならはせ》  《割書:しか後世(こうせい)誤(あやま)りて蛭子神(ひるこのかみ)に混(こん)し又/夷子(えひす)に轉(てん)しいよ〳〵附會(ふくわい)せしなりとそこの|説(せつ)さもありなんかし》  湊稲荷社(みなといなりのやしろ) 高橋(たかはし)の南詰(みなみつめ)にあり鎮座(ちんさ)の来由(らいゆ)詳(つまひらか)ならす此地(このち)は廻船(くわいせん)  入津(にふしん)の湊(みなと)にして諸国(しよこく)の商舩(あきなひふね)普(あまね)くこゝに運(はこ)ひ碇(いかり)を下(おろ)して此社(このやしろ)の  前(まへ)にて積所(つむところ)の品(しな)を悉(こと〳〵)く問屋(とひや)へ運送(うんさう)す此故(このゆゑ)にや近世(ちかころ)吉田家(よしたけ)  より湊神社(みなとしんしや)の号(かう)を贈(おく)らるゝ當社(たうしや)は南北(なんほく)八丁堀(はつちやうほり)の産土神(うふすな)なり又(また)  此川口(このかはくち)の北(きた)に監舩所(ふなやくしよ)ありて舩(ふね)の出入(ていり)を改(あらため)らる《割書:事跡合考(しせきかつかうに)云(いふ)此祠(このやしろ)昔(むかし)は|八丁/堀(ほり)一丁目の南岸(みなみきし)に》  《割書:ありしか此地(このち)年月を重(かさ)ねて家居(いへゐ)立(たち)つゝき|けれは八丁目の大川(おほかは)はしに遷(うつ)せしとそ》 【左丁】 鉄炮洲(てつはうす) 南北(なんほく)へ凡(およそ)八町はかりもあるへし傳云(つたへいふ)寛永(くわんえい)の頃(ころ)井上(ゐのうへ)稲冨(いなとみ)等(ら)  大筒(おほつゝ)の町見(ちやうけん)を試(こゝろみ)し所(ところ)なりと或(あるひは)此(この)出洲(てす)の形状(きやうしやう)其器(そのき)に似(に)たる故(ゆゑ)の  号(かう)なりともいへり《割書:白石先生(はくせきせんせい)の説(せつ)に此地(このち)は明暦火災後(めいれきくわさいこ)に桑山傳兵衛(くはやまてんひやうへ)某(それかし)を|奉行(ふきやう)として築出(つきいた)されしとなり又/故家(あるいへ)珍蔵(ちんさう)の舊図(きうつ)に新(しん)》  《割書:出洲(てす)と|記(しる)せり》今(いま)は薪(たきゝ)炭(すみ)石抔(いしなと)の問屋(とひや)多(おゝ)く住(ちゆう)せり   打出る月は世界の鉄炮洲玉のやうにて雲をつんぬく《割書:半井| 卜養》 半井卜養翁(なからゐほくやうおう)居宅地(きよたくのち) 同所(とうしよ)明石町(あかしまち)の裏通(うらとほ)りにあり《割書:或人(あるひと)云(いふ)延宝(えんはう)九年|半井卜仙(なからゐほくせん)拝領(はいりやう)屋(や)》  《割書:敷(しき)は父(ちゝ)卜養(ほくやう)の時(とき)賜(たま)はる所なりと云云/寛文(くわんふん)江戸繪圖(えとゑつ)に十間町(しつけんてう)の|西(にし)の裏通(うらとほ)り寒(さむ)さ橋(はし)の東詰(ひかしつめ)の北(きた)の方(かた)川(かは)に傍(そひ)たる角(すみ)に記(しる)してあり》半井卜養翁(なからゐほくやうおう)は  東都(とうと)の御醫官(おんゐくわん)にして牡丹花肖柏(ほたんくわせうはく)の裔孫(えいそん)なり連哥(れんが)およひ  狂歌(きやうか)を能(よく)せらる此地(このち)を賜(たま)はりし頃(ころ)の口(くち)すさみに   卜養は本道とこそ思ひしにうみちをとるは外科か望か   《割書:按(あんする)に江戸砂子(えとすなこ)に卜養(ほくやう)の詠(えい)とすれとも哥意(うたのこゝろ)は他(た)の人(ひと)の詠(よめ)るか如(こと)く不審(ふしん)少(すくな)からす》 了然禅尼(りやうねんせんに)庵室地(あんしつのち) 此地(このところ)に住(すみ)はへりしよし紫(むらさき)の一本(ひともと)といへる草紙(さうし)に  見(み)えたり禅尼(せんに)の行實(きやうしつ)は第(たい)四/巻(くわん)落合泰雲寺(おちあひたいうんし)の条下(てうか)に詳(つまひらか)なり 【右丁】 佃島(つくたしま) 鉄炮洲(てつはうす)に傍(そひ)たる孤島(こたう)をいふ《割書:舟松町(ふなまつちやう)より舟渡(ふなわたし)|ありてこゝに至(いた)る》文亀年間(ふんきねんかん)江戸(えと)  の舊図(きうつ)に向島(むかふしま)とあり天正年間(てんしやうねんかん)  東照大神君(とうせうたいしんくん)遠州濱松(ゑんしうはままつ)の御城(おんしろ)にまし〳〵皇都(くわうと)へ上(のほ)り給ふ頃(ころ)摂津(せつつの)  國(くに)多田(たゝ)の御廟(こひやう)およひ住吉大神(すみよしたいしん)にまうて給ふとき神崎川(かうさきかは)御舩(おんふね)  なかりしに佃村(つくたむら)の漁夫(きよふ)猟舩(りやうせん)をこき出(いた)して渡(わた)し奉(たてまつ)りしかは伏見(ふしみ)  御城(おんしろ)にまします時(とき)も御膳(こせん)の魚(うを)を奉(たてまつ)るへき旨(むね) 台命(たいめい)あり又  西国(さいこく)へ御使(おんつかひ)なとの折(をり)からはかならす漁船(きよせん)を以(もつ)て仕(つか)へ奉るへき  旨(むね) 命(めい)ありしかは大坂(おほさか)両度(りやうと)の御陣(こちん)にも軍事(くんし)の密使(みつし)或(あるひ)は御膳(こせん)の  魚猟(きよりやう)等(とう)の事日々/怠(おこたり)なく仕(つか)へ奉りしかは其後(そのゝち)漁人(きよしん)三十四人/江戸(えと)へ  めされ慶長年間(けいちやうねんかん)浅草川(あさくさかは)御遊猟(こいうりやう)の時(とき)網(あみ)を引(ひか)せ給ひ同十八年  八月十日/海川(うみかは)漁猟(きよりやう)すへき旨(むね)免許(めんきよ)なし給へり《割書:其頃迄(そのころまて)は安藤(あんとう)石川(いしかは)|両侯(りようこう)の藩邸(はんてい)ありし》  《割書:頃(ころ)は今(いま)の小石川(こいしかは)網干坂(あみほしさか)小網町(こあみちやう)難波町(なにはちやう)等(とう)に旅宿(りよしゆく)して居(ゐ)たりしとなり|難波町(なにはちやう)に今(いま)も六人/河岸(かし)と云(いふ)所(ところ)ありて六人網(ろくにんあみ)と号(なつ)けて専(もつは)ら用(もち)ゆるとなり》然(しかる)に寛永年間(くわんえいねんかん)  鉄炮洲(てつはうす)の東(ひかし)の干潟(ひかた)百間四方(ひやくけんよはう)の地(ち)を給り正保(しやうほ)元年二月/漁家(きよか)を立並(たてなら)へて 【左丁】  本國(ほんこく)佃村(つくたむら)の名(な)を採(とり)て即(すなはち)佃島(つくたしま)と号(なつ)く又/白魚(しらうを)を取(とり)て奉(たてまつ)るへき  旨(むね) 台命(たいめい)によりて毎年(まいねん)十一月より三月/迄(まて)怠(おこた)らす奉る其(その)  間(あひた)は他(た)の猟(りやう)を堅(かた)く禁(いまし)め給へり猶(なほ)其後(そのゝち)深川八幡宮(ふかかははちまんくう)の前(まへ)にて  空地(くうち)三千/坪(つほ)を給はりて佃町(つくたちやう)と号(なつ)けられ御菜魚(こさいきよ)をも奉(たてまつ)れる  事(こと)となれり《割書:或人(あるひと)の説(せつ)に此所(このところ)は始(はしめ)安藤右京進(あんとううきやうのしん)やしきの地(ち)にして住吉(すみよし)の社(しや)|頭(とう)に繁茂(はんも)する所(ところ)の藤(ふち)は安藤家(あんとうけ)にて栽(うへ)る所なりといへり廣(くわう)》  《割書:貢(く)に佃島(つくたしま)は紀州(きしう)賀多(かた)の漁人(きよしん)雑居(さつきよ)し|一/島(とう)皆(みな)本願寺宗(ほんくわんししう)にて他宗(たしう)なしと云々》此地(このち)は殊更(ことさら)白魚(しらうを)に名(な)あり故(ゆゑ)に  冬月(とうけつ)の間(あひた)毎夜(まいや)漁舟(きよしう)に篝火(かゝりひ)を焼(たき)四手網(よつてあみ)を以(もつ)て是(これ)を漁(すなと)れり都(と)  下(か)おしなへて是(これ)を賞(しやう)せり春(はる)に至(いた)り二月の末(すへ)よりは川上(かはかみ)に登(のほ)り  弥生(やよひ)の頃(ころ)子(こ)を産(さん)す其子(そのこ)秋(あき)に至(いた)りて七八月の頃(ころ)江海(かうかい)に入と云  《割書:事跡合考(しせきかつかう)に云/両国(りやうこく)の川筋(かはすち)に産(さん)する所(ところ)の|白魚(しらうを)は尾州(ひしう)名古屋(なこや)の浦(うら)よりとりよせ給ふと云々》 住吉明神(すみよしみやうしん)社 佃島(つくたしま)にあり祭(まつ)る神(かみ)摂州(せつしう)の住吉(すみよし)の御神(おんかみ)に同し神主(かんぬし)は  平岡氏(ひらをかうち)奉祀(ほうし)す正保年間(しやうほねんかん)摂州(せつしう)佃(つくた)の漁民(きよみん)に初(はしめ)て此地(このち)を賜(たま)はり  しよりこゝに移(うつ)り住(すむ)本國(ほんこく)の産土神(うふすな)なる故(ゆゑ)に分社(ふんしや)してこゝにも 【右丁】 佃島(つくたしま) 住吉明神(すみよしみやうしん)社 【図】 【左丁】 名月   や こゝ  住吉(すみよし)   の つくた  嶋   其角 【図】 【枠内】安房 【枠内】上総 【枠内】佃島 【枠内】住吉 【右丁】 其二 湊(みなと) 稲(いな) 荷(りの) 社(やしろ) 【図】 【枠内】佃新地 【枠内】冨士 【左丁】 【図】 【枠内】永代橋 【枠内】稲荷 【枠内】いなり橋 【右丁】 佃島(つくたしま) 白魚網(しらうをあみ) 【図】 【左丁】 白魚に  價 ある  こそ 恨  なれ   はせを【芭蕉】 【右丁】  住吉(すみよし)の宮居(みやゐ)を建立(こんりふ)せしとなり《割書:摂州(せつしう)の佃村(つくたむら)は西成郡(にしなりこほり)にあり古今集(こきんしふ)にた|みのゝ島(しま)とよめるは是(これ)なりかしこにも》  《割書:住吉明神(すみよしみやうしん)の宮居(みやゐ)ありて神功皇后(しんこうくわうこう)三韓征伐(さんかんせいはつ)御帰陣(こきちん)の時(とき)其地(そのち)に御舩(みふね)の艫綱(ともつな)を|かけ給ひしより已降(このかた)佃村(つくたむら)の地(ち)に御舩(おんふね)の鬼板(おにいた)を傳(つた)へいつき祭(まつ)る事/千有余年(せんいうよねん)なりと》  《割書:いへり當社(たうしや)は|此(この)分社(ふんしや)たり》毎歳(まいさい)六月晦日/名越祓修行(なこしはらひしゆきやう)あり《割書:例祭(れいさい)は毎歳(まいさい)六月廿八日廿九日|両日なり人々/群集(くんしふ)す》    逍遥院実隆公(せうえうゐんさねたかかう)住吉奉納和哥(すみよしほうなうわか)十首の題(たい)を詠(えいし)て奉りし中に    江上月   此浦の入江の松に澄月のみなれそなれて幾秋かへむ 戸田茂睡    名月やこゝ住吉のつくたしま   其角  此地(このち)は都下(とか)を去(さる)事/咫尺(しせき)なれとも離島(はなれしま)にして漁人(きよしん)の住家(ちゆうか)のみ  所得顔(ところえかほ)なり弥生(やよひ)の潮乾(しほひ)には貴賤(きせん)袖(そて)を交(まし)へて浦風(うらかせ)に酔(ゑひ)を醒(さま)し  貝(かひ)拾(ひろ)ひあるは磯菜摘(いそなつむ)なんと其(その)興(きやう)殊(こと)に多(おほ)し月(つき)平沙(へいさ)を照(てら)しては  漁火(きよくわ)白(しろ)く芦辺(あしへ)の水鶏(くひな)波間(なみま)の千鳥(ちとり)も共(とも)に此地(このち)の景色(けいしよく)に入て四(しい)  時(し)の風光(ふうくわう)足(たら)すとする事なし 鎧島(よろひしま) 佃島(つくたしま)の北(きた)に並(なら)へり今(いま)石川島(いしかはしま)と号(なつく)《割書:俗(そく)に八左衛門殿島(はちさゑもんとのしま)ともいへり昔(むかし)|大猷公(たいいうこう)の御時(おんとき)石川氏(いしかはうち)の先代(せんたい)此島(このしま)を》  《割書:拝領(はいりやう)するよりかく唱(とな)ふるとなり寛政(くわんせい)四年/石川氏(いしかはうち)|永田(なかた)町へ屋敷替(やしきかへ)ありしより炭置場(すみおきは)人足寄場(にんそくよせば)等(とう)になれり》舊名(きうみやう)を森島(もりしま)と云(いふ)よし江戸(えと)の 【左丁】  古図(こつ)に見えたり《割書:文亀(ふんき)|古図(こつ)》又/其図(そのつ)に記(しるし)て云(いは)く此島(このしま)一/名(みやう)を鎧島(よろひしま)と号(なつ)く  古(いにし)へ八幡太郎義家朝臣(はちまんたらうよしいへあそん)鎧(よろひ)を収(をさ)めて神體(しんたい)とし八幡宮(はちまんくう)を勧請(くわんしやう)  す石川大隅守(いしかはおほすみのかみ)居住(きよちゆう)の時(とき)は其(その)庭中(ていちゆう)にありしか今(いま)は鉄炮洲稲荷(てつほうすいなり)  境内(けいたい)にありと云云《割書:或人云(あるひといふ)昔(むかし)猷廟(いうひやう)の御時(おんとき)異国(いこく)より鎧(よろひ)一領(いちりやう)を奉(たてまつ)りけるに|重(おも)くして是(これ)を持(もつ)ものなかりし時石川氏の祖(そ)大力なりけれは》  《割書:是(これ)を片手(かたて)に持(もち)て 大樹(たいしゆ)の御前(こせん)へ披露(ひろう)なし奉(たてまつ)る故(ゆゑ)に御感賞(こかんしやう)のあまり此所(このところ)を|宅地(たくち)にたまふとなり鎧(よろひ)を携(たつさ)へし賞(しやう)として給ふ所(ところ)の地(ち)なれはとて鎧島(よろひしま)と号(なつ)け|られけるとなり》 江風山月楼(かうふうさんけつろう) 築地稲葉侯(つきちいなはこう)別荘(へつさう)の号(かう)なり寛文(くわんふん)二年壬寅の春(はる)此所(このところ)  の海汀(かいてい)を塡(うつ)み土(つち)を積(つみ)石を畳(たゝ)むて翌(あく)る年(とし)の秋(あき)其功(そのこう)なれりと  いふ風光(ふうくわう)他(た)に勝(すく)れ殊(こと)に洞庭(とうてい)の秋影(しうゑい)にも越(こえ)たりとなり  咳逆(せきの)耆嫗(ちゝはゝ)《割書:同/藩中(はんちゆう)にありいつれも高さ二尺はかりの石像(せきさう)なり稲葉侯(いなはこう)の始(し)|祖(そ)小田原(をたはら)にありし時(とき)其(その)辺(あた)りを巡見(しゆんけん)せられしにとある深(み)山に至(いた)るに》  《割書:一の草庵(さうあん)に一人の老僧(らうそう)の住(すめ)るあり其(その)号(かう)を風外(ふうくわい)と云(いふ)と後(のち)是(これ)を城中(しやうちゆう)に請(しやう)せんとする|事(こと)屡(しは〳〵)なり故(ゆゑ)に其後(そのゝち)一度/城(しろ)に入來(いりきた)り城主(しやうしゆ)に見(まみ)ゆるといへともあへてよろこひとせす》  《割書:受(うく)る所(ところ)の種々(くさ〳〵)は其(その)家臣(かしん)田崎某(たさきそれかし)か許(もと)に置(おき)て出去(いてさり)終(つひ)に行方(ゆくへ)をしらすとなり其(その)住(すみ)たる|所の庵(いほり)に件(くたん)の石像(せきさう)を残(のこ)してありしを後(のち)此地(このち)にうつされけるとなりされと耆嫗(きう)共(とも)に》  《割書:何人なる事をしらすとそ傳云(つたへいふ)此(この)耆嫗の石像(せきさう)を一/雙(さう)並(なら)へ置(おく)時はかならす耆の石像/倒(たを)|るゝ事ありとそ依(よつて)耆の石像は稲葉侯(いなはこう)累代(るいたい)の牌堂(はいたう)に遷(うつ)し嫗の石像は稲荷社前(いなりのしやせん)に|置(おく)となり又耆の石像は口中に病(やまひ)あるもの寄願(きくわん)し嫗の石像は咳(せき)を悩(なやむ)もの■(き)【寄ヵ】》 【右丁】 寒橋(さむさはし) 【図】 【枠内】西本願寺 【左丁】 青海や  浅黄に なりて  秋の   くれ   其角 【図】 【右丁】 西本願寺(にしほんくわんし) 【図】 【枠内】本堂 【枠内】台所門 【枠内】台所 【枠内】対面所 【枠内】鼓楼 【枠内】番所 【枠内】手水や 【枠内】玄関 【左丁】 【図】 【枠内】輪番所 【枠内】番所 【枠内】鐘楼 【枠内】手水や 【枠内】唐門 【枠内】茶所 【枠内】寺中 【枠内】番所 【枠内】寺中 【枠内】寺中 【枠内】寺中 【右丁】 【図】 【枠内】裏門 【枠内】寺中 【枠内】寺中 【枠内】寺中 【枠内】寺中 【枠内】寺中 【枠内】総門 【左丁】  《割書:願(くわん)するにかならす|霊験(れいけん)ありといへり》 西本願寺(にしほんくわんし) 同所/川(かは)を隔(へた)てゝ北(きた)の方(かた)にあり俗(そく)に築地(つきち)の門跡(もんせき)とよへり  《割書:或人云(あるひとのいふ)此地(このち)は明暦(めいれき)四年に仰(あふせ)の事|ありて築所(つくところ)なりといへり》一向派(いつかうは)にして京都(きやうと)西六条(にしろくてう)よりの輪番(りんはん)  所(しよ)なり《割書:宗派(しうは)のもの是(これ)を|表方(おもてかた)といふ》塔頭(たつちう)五十七/宇(う)あり始(はしめ)横山町(よこやまちやう)二丁目の南側(みなみかは)  裏通(うらとほ)りにありしを明暦大火(めいれきたいくわ)の後(のち)此地(このち)に移(うつ)さる准如上人(しゆんによしやうにん)を當寺(たうし)の  開祖(かいそ)とす《割書:江戸名所記(えとめいしよき)に 神祖(しんそ)御在世(こさいせ)の時(とき)より京都西本願寺(きやうとにしほんくわんし)の末寺(まつし)を立(たて)られ|宗流(しうりう)を汲(くむ)輩(ともから)を勧(すゝめ)らるゝと云々/白石先生(はくせきせんせい)云(いは)く善養寺(せんやうし)といふ一向僧(いつかうそう)東(ひかし)》  《割書:本願寺(ほんくわんし)の建立(こんりふ)を見(み)て公(おほやけ)へ願(ねか)ひて立(たつ)る所(ところ)なりとそ|和漢年契(わかんねんけい)に延宝(えんはう)八年庚申/西本願寺(にしほんくわんし)立(たつ)とあり》本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)は聖徳(しやうとく)  太子(たいし)の彫像(てうさう)にして泉州堺(せんしうさかひ)の信證院(しんしやうゐん)よりうつす毎年(まいねん)七月七日  立花會(りつくわゑ)十一月廿八日/開山忌(かいさんき)にて七昼夜(しちちうや)の法會(ほふゑ)修行(しゆきやう)あり是(これ)を  報恩講(はうおんこう)と云又/俗間(そくかん)御講(おこう)と称(しよう)す《割書:塔頭(たつちゆう)成勝院(しやうしようゐん)に俳仙(はいせん)杉風(さんふう)|翁(をう)の墳墓(ふんほ)あり》 《振り仮名:采女ゕ原|うねめ  はら》 木挽町(こひきちやう)四丁目より東(ひかし)の方(かた)此所(このところ)に馬場(はゝ)あり常(つね)に賑(にきは)しく  講釈師(こうしやくし)浄瑠璃(しやうるり)の類(たく)ひ軒(のき)を並(なら)へて行人(こうしん)の足(あし)をとゝむ享保(きやうほ)九年  迄(まて)此地(このち)に松平采女正定基(まつたひらうねめのかみさたもと)のやしきありし故(ゆゑ)となり同年(とうねん)正月晦日 【右丁】 【図】 【枠内】西本願寺 【枠内】万年橋 【左丁】 《振り仮名:采女ゕ原|うねめ  はら》 【図】 【右丁】 魚見せ    や 一はん   太鼓 二番    鳥   老鼠 【図】 【左丁】 木挽町(こひきちやう)  芝居(しはゐ) 【図】 【枠内】一のはし 【右丁】 新橋(しんはし) 汐留橋(しほとめはし) 【図】 【枠内】通し町 【枠内】汐留橋 【左丁】 【図】 【枠内】新橋 【枠内】松坂屋 【右丁】 尾張町(をわりちやう)   布袋屋   亀 屋   恵比須屋    呉服店 【図】 【左丁】 【図】 【右丁】 金六町(きんろくちやう) しからき   茶店(さでん) 【図】 【左丁】 【図】 【右丁】  火災(くわさい)の後(のち)やしきは麴町(かふしまち)三丁目の裏(うら)へうつされ同十二年の頃(ころ)其(その)跡(あと)へ  新(あらた)に馬場(はゝ)を開(ひら)かるゝといへり《割書:馬場(はゝ)の地(ち)は天明(てんめい)五年/今(いま)の芝西應寺町(しはさいおうしまち)その代(たい)|地(ち)にて町屋(まちや)の地(ち)馬場(はゝ)なりといふ》  此所(このところ)の井(ゐ)を采女(うねめ)の井(ゐ)といふも彼(かの)やしきの用水(ようすゐ)なり故(ゆゑ)にしか名(な)つくるなり 哥舞妓芝居(かふきしはゐ) 木挽町(こひきちやう)五丁目にあり今(いま)森田勘弥(もりたかんや)の哥舞妓芝居(かふきしはゐ)綿々(めん〳〵)  として相続(さうそく)す《割書:芝居(しはゐ)の基原(きけん)は堺町(さかひちやう)葺屋町(ふきやちやう)|哥舞妓芝居(かふきしはゐ)の条下(てうか)に詳(つまひらか)なり》昔(むかし)は此所(このところ)六丁目に山村長太夫(やまむらちやうたいふ)  といひし名代(なたい)の狂言座(きやうけんさ)ありて中村(なかむら)市村(いちむら)森田(もりた)等(とう)の芝居(しはゐ)をあはせて  すへて四/座(さ)なりしかと正徳(しやうとく)四年の頃(ころ)故(ゆゑ)ありて此芝居(このしはゐ)を止(や)めらる《割書:山村長(やまむらちやう)|太夫座(たいふさ)を》  《割書:初(はし)めは岡村(をかむら)長兵衛と云(いふ)実子(しつし)なくして従子(をひ)七十郎といへるを養(やしなひ)て子(こ)とす二代/岡村(をかむら)|五郎左衛門/是(これ)なり後(のち)に名(な)を改(あらため)て山村(やまむら)長太夫といふ是(これ)も女子(によし)のみありしかは婿(むこ)をとりて》  《割書:相続(さうそく)す此時(このとき)に至(いた)りて断絶(たんせつ)せしなり此芝居(このしはゐ)は正保(しやうほ)元年申歳に始(はしま)るとそ東海道名所(とうかいたうめいしよ)|記(き)に木挽町(こひきちやう)に喜太夫(きたいふ)か浄瑠理(しやうるり)其外(そのほか)異類(いるい)異形(いきやう)のものを見するとあれは昔(むかし)は狂言(きやうけん)》  《割書:座(さ)の外(ほか)に見(み)せ物(もの)の類(るい)|ありしなるへし》 織田有楽斎(おたうらくさい)弟宅地(ていたくのち) 元数寄屋町(もとすきやちやう)の地(ち)なりと云(いふ)慶長(けいちやう)の頃(ころ)此地(このち)を織田(おた)  有楽斎(うらくさい)に賜(たま)はりしか其後(そのゝち)は空地(くうち)となりて三四丁か程(ほと)芝生(しはふ)となり春(はる)は  摘草(つみくさ)夏(なつ)は池水(ちすゐ)に涼(すゝみ)なんとして其頃(そのころ)は林泉(りんせん)の形(かたち)も残(のこ)り殊更(ことさら)櫻楓(あうふう)等(とう)の 【左丁】  二樹(にしゆ)多(おほ)く春秋共(はるあきとも)に遊望(いうまう)の地(ち)にて寛永(くわんえい)の頃(ころ)迄(まて)は折(をり)にふれて  大樹(たいしゆ)此地(このち)に御遊猟(こいうりやう)なとあらせられしとなり《割書:有楽斎(うらくさい)名(なは)長益源五郎(なかますけんこらう)と|称(しよう)す乃其軒(ないきけん)と号(かう)す法名(ほふみやう)》  《割書:融覚(いうかく)信長公(のふなかこう)の弟(おとゝ)にして茶道(さたう)を利休居士(りきうこし)に受(うけ)て一家(いつけ)の風(ふう)あり元和(けんわ)七年に卒(そつ)す|此人/茶事(さし)に長(ちやう)す故(ゆゑ)に宅地(たくち)にいくつともなく数寄屋(すきや)を建置(たておか)れし旧跡(きうせき)なれはとて|後世(こうせい)土人(としん)数寄屋(すきや)の唱(となへ)をうしなはすして町(まち)の名(な)によへりとなり》 新橋(しんはし) 大通(おほとほ)り筋(すち)出雲町(いつもちやう)と芝口(しはくち)一丁目との間(あひた)に係(かく)る正徳(しやうとく)元年辛卯/朝鮮(てうせん)  人(しん)来聘(らいへい)の前(まへ)宝永(はうえい)七年庚寅/此所(このところ)に新(あらた)に御門(こもん)を御造営(こさうえい)ありて  芝口御門(しはくちこもん)と唱(とな)へ橋(はし)の名(な)も芝口橋(しはくちはし)と更(あらため)られしか享保(きやうほ)九年正月廿九日  の火災(くわさい)に焼亡(しやうほう)するの後(のち)は復旧(またいにしへ)の町家(まちや)となされたり此川筋(このかはすち)の東(ひかし)木挽町(こひきちやう)  七丁目と芝口新町(しはくちしんまち)の間(あひた)に架(わた)せしを  汐留(しほとめ)はしといふ      正徳(しやうとく)四年      江戸図(えとつ) 【図】 【右丁】 江戸名所圖會天枢之上畢         【印 尾崎蔵書】 【左丁】         【印 豊田家蔵】 【裏表紙】