【右ページ】 かかる目出度御代の印なるにこゝに 松平伯耆守様御領分丹後国 竹野郡幾野村百性権左衛門とゆふ 大百性有此人正直して常に 人にほとしを専として大冨家なり 頃は弘化四年未年正月十三日夜 五ツ半時頃也右権左衛門所持の 地面之内大い成畑有右畑之内 其おとあたかも大地より雷出る程しんだう して其ものをと八方にひゝき夜 中の事ゆへ何事ならんと百性とも 貝をふき立近郷近村者とも鍬鎌棒の類 得もの〳〵もち来名主年寄者共一 同せはいたし其最寄の持口相かため とかく夜の明るを相侍いたりしに程な く夜明方にをと鳴もしつまりけり一同 是を見るにこゝにふしきなるは右権左衛門 所持大い成畑の内高さ弐丈七尺余廻り八十 五間大山一夜出亦外にふしきあり同其夜 の事也しに内地面の内青石地中よりゆり 出し其ものをと地より雷出【なヵ】る如し大きさ三間 九尺高さ一丈七尺八寸外に亦如図なる岩也大い成事 意入【慮ん?】【廣大ヵ】也同地面之内事なり此岩出る時そのひゝき大龍 地より出て夫【天?】上る程しんとうしたりけり長さ弐十五間四尺余 【図中】    高さ     弐丈七尺余    廻り     八十五間        餘  大山 【左ページ】 元の丸さ凡廿間余先丸さ七間弐尺也 右絵図面もって名主年寄の者とも 御領主御訴相成右見分有大成 珍事成とて御領主御歓有之いに しへの駿河国ふし山近郷の水海是も 一夜の内出来たり夫大い成ふしき なりそのときふしのすそに一村有其村 者ともふしの出来たりしをあす 見んとていゝしを今において其 村にてはふし見へすとゆふその むらをあす見村言かゝる事うた かひし事也抑富士山利やく 広大成事世の人知る所也日本六十 余州高山其数多し中にも大和  大峯あり紀州には熊野有亦   高野山有山城には比叡山有    さかみ箱根有大山石尊     あり武州妙義有      はるなありかゞに白      山有信州に      戸かくし山有      出羽羽黒山      有皆其り      やく広大也      事皆〳〵      知る所也また      宝永四年事      なりふし中にて      宝永頃成き是宝永山【上段四角印】 【下段四角印】 となつく 世の人知る所也 かゝる例も有之 みな〳〵吉事なり 此度珍事是ま つたく豊年の 印ならんと皆々 此山を豊年山 ならん言て貴■【重?賓?】 へ高覧に備 へんと也 【中段】 長さ 二十 五間 四尺余 元の丸さ凡 廿間余先 丸さ七間二尺也 大岩 大きさ三間九尺 高さ壱丈七尺六寸余 青岩【22~23行目に青石の大きさを示す文言あり。】